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ハイドロニューマチック前史ーオレオニューマチックについて

日本ではoleo-pneumatique(オレオニューマチック)という言葉はあまり知られていないと思います。現在、oleo-pneumatiqueはオイルとガスのダンパーを用いた製品名としてフランス語圏や英語圏(英語ではpneumatiqueがpneumatic表記になりますが)で用いられていますが、元々はフランス人のGeorge Messier(ジョルジュ・メシエ)(1896-1933)が発明したサスペンションシステムです。そして、フランスでは多くの人がハイドロニューマチックの元祖だと認識しています。Messierは1920年代にoleo-pneumatiqueの研究を開始し、1921年にはMessier Automobileを設立し、1925年から1931年にかけてoleo-pneumatiqueサスペンションを装備した車を生産しました。それはMessier MS-31 Coupe Spider Sans Ressortsです。

Messier MS-31 Coupe Spider Sans Ressortsは文字通りsans ressorts(スプリングレス)でスプリングのないサスペンションを備えています。(ラジエターの両脇に黒鉄色のダンパーがあるのが見えますでしょうか。)

前輪のサスペンションの左右に筒状のガスとオイルが封入されたダンパーが備えられているのが分かると思います。
 また、oleo-pneumatiqueは航空機の着陸装置としても使われました。MessierとRene Levy(ルネ・レヴィ)は1927年にSociete francaise de materiel d'aviation(SFMA)を設立し、航空産業にも参入します。oleo-pneumatiqueを用いた着陸装置の開発です。

上の画像はKYBが戦時中に生産した零戦のオレオ式着陸装置(ダンパー)です。

しかし、Messierは1933年に落馬事故で36歳の若さで命を落とします。彼らが開発したoleo-pneumatiqueダンパーを備えた実験機l'Avion laboratoire Messierの初飛行はその1年後の1934年です。その後、Rene LevyはMessierの未亡人と結婚し、1937年にはSFMAをMessier社に改称します。Messier社は戦後、Messier-Hispanoになり、さらにMessier-Hispano-Bugattiとなり、現在はSafran Landing Systemsとなって航空機の着陸装置を開発しています。
 さて、一方、ハイドロニューマチックはスプリングの代わりに圧縮窒素を使用し、加圧されたオイルシステムを用いる点がoleo-pneumatiqueとは異なりますし、車体全体にオイルラインが張り巡らされて、パワーステアリングやブレーキまでカバーし、さらに車高調整機能も備えるなど、oleo-pneumatiqueにない美点が多くあり、オリジナルな発明だと言えます。しかしながら、ハイドロニューマチックを発明したPaul Mages(ポール・マジェス)は1908年生まれです。彼がMessierのoleo-pneumatiqueを目にしたことは想像に難くなく、また、あれだけの高度な油圧システムが突然ゼロから開発された訳ではなく、航空産業で使用されていた油圧システムの技術が用いられた可能性も十分あります。oleo(油のラテン語)pneumatique(空気圧)に対してhydro(水・液体)pneumatique(空気圧)となったのも、商標的な必然があったと想像できます。航空産業と自動車産業の結びつきや技術転用は日本だけではなく、フランスにもあったと思われます。ハイドロを知る上で、フランスの戦前の航空産業などについても調べてみる価値は大いにありそうです。

引用:Wikipedia Francais & English、Nosweb.jp

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